37歳

気にしたってそれもあの山を登るためにかなりあの下の方から歩いている彼の体は丈夫だったこの頃はただその権利さんのは37歳でなくなるんです。けどもその一番の原因って何の結核だった結核っては当時はまったくも治せない当時は病気だったわけで出たんだんだんだ弱ってくんです。けどもその時に彼の書いた作品とのがこの雨ニモマケズっていう風に昭和8年2.3無くなってるんです。けども多分亡くなる2年前にこれは書いたものであろうっていう風に言われてます。それでここにあの11月3日っていう風に日付もあるので多分昭和6年の11月3日に書いたじゃないかなっていくところがこれはあの例えば銀河鉄道の夜とか注文の多い料理店とかとは春と修羅で刺繍であるとかのように何誰かに読んでもらいたい本にしたいっていう気持ちが全くない作品だった作品ではなかったんですね。本当はその自分の音街って言うか気持ちを書き留めてた 物が当たったちょっと見づらい小さくて見づらいかもしれないです。けどここの下にあるのはまけんじさんの直筆のものを並べたものでちょっと今ちょっと見えづらいです